散文

石川県で地震

東日本大震災の思い出

私は2011年の頃、東京にいました。池袋に住んでいました

そしてあの日は鎌倉に出張レッスンに行っていました。

池袋から湘南新宿ラインに乗って1時間ほどかかる場所です。

14時45分、ちょうど団体レッスンをしているところでした。

揺れました。

当然、鎌倉なので建物が倒壊とかはなかったんですが、

震源地は東北なのに、鎌倉でも揺れは凄かったです

正直、街中みんな

思わず建物から出た』んです。

地震に慣れている日本人のあそこに居たほとんどの人が

(ん⁉︎なんかコレ、、ヤバくね?)

と感じたんです。何でしょう。シンプルにヤバさを感じ取りました。

最初に揺れた時に、町中の電源は落ちました。

2回目に大きめの余震が来た時、もう屋外にいましたが

ビルが揺れる

のを目の当たりにしました。

本当にそれなりの大きさのビルが揺れるんです。なんか震えている状態に近い

その後、全ての電気が無くなって電車・バス・交通機関は全て無くなり

信号機は全て消えた。

その時、町中の屋外に人が溢れかえってたし

なるほど、屋内にこんなに人がいてたんだな。と思ったことを覚えている。

あの頃はスマートフォンも黎明期で、携帯電話のワンセグTVで東京の様子を観てた。

そして、まだ16時くらいの時は甘く思っていたんだ。

あと3時間もすれば電車も動くかなー。。とか思っていた

しかし、待てど暮らせど復旧せず

帰宅困難者になったのだ。

寒かった。

3月の春先とはいえ、まだまだ寒かった。

どうにも寒い。

携帯電話の充電はもう無い。

コンビニに行っても、『充電器の類はもう売り切れましたーっ‼︎』

とファミマの店長さんが叫んでいる。

コンビニも電源が落ちているから入口にコンテナボックスを持ってきて

ギリギリ販売の体をとっているだけだ。

温かい飲み物も無い。寒い

だんだん暗くなる中で、唯一電源が動いているところがあった

銀行のATMコーナーだ。

こういう災害の時には、非常用電源があるところはわかるね

そこはエアコンも動いていた。

ありがたく一時避難して暖を取らせてもらったよ。

マジ寒かったからね。

最初は俺一人が小さく避難していたが

一人増え、二人増え、、、最終的には

満員電車かな?っていうくらい人がいた。

横浜銀行さん、その節は助かりましたありがとう

そして、寒さの流れとともに

夜になっていく。

ここで私は一番感じたことがあって、それは

本当に暗闇になっていくんです。

我々は、いかに電気という文明の灯りに慣れきっているのかということを

私は思い知ったのです。

暗闇になっていくに従って、

そこはかとない不安感・恐怖感を感じた。

それにより平安時代とか昔の人たちが

闇の中に魔が住まうというのも納得できると

感じてしまいました。

結果、最終的には鎌倉市役所に避難して

毛布と乾パンをもらい一泊することになったな。

翌日、早朝から何時間も待ってやっと動いた電車に乗って

なんとか帰りましたね。

帰ったら家の冷蔵庫が倒れていました。

準備はしておこう

被災地に比べれば些細なことかもしれないが

その経験をしたことにより

それなりに準備はしなければ‼︎

と思うようになりました。

なので、ちょっとずつ防災用品を買って置いております。

今は名古屋に住んでいるし、救援物資は届くだろうけれども

それが自分のところまで行き届くまでが迅速に来るのか?

それはわからない

それぞれ個人が準備しておくことは本当に大切なんです。

南海トラフ大地震が30年以内に70%の確率でくると

言われ続けています。

皆さん準備しておきましょう

次回は、私が買ったものを掲載したい。