時間の概念
先日、大学時代のダンス部同期とご飯食べてきました。
育児のまっ最中の彼女ですが、会話の中で「最近、子供が時計が読めるようになってきた」という話が出たんです。
それまでは、時計が読めなかったので子供が要求してくることに対して「お皿洗いが終わった後でね」とか言っても、子供には通じなくて待ってもらえなかった。
しかし、少し時計が読めるようになった今は「8時半からね」という時間指定ができるようになった‼︎
という話を聞きました。
その話を聞いて、私は当たり前のことに思いが至りました。
時計が読めない子供にとって
時という概念そのものが存在しないのだ。
刹那的だが本質的
まだ時間の概念がない子供にとっては、ママが「お皿洗い」をした「後」で遊んでくれると言っても、その「お皿洗い」はいつ終わるのか見当もつかないワケです。
つまり、その「お皿洗い」とやらは永遠に終わらないかもしれない。。ずっと、、ずっと
なので子供にとっては
今
遊んでくれるか・くれないか
の2つに1つしかないんです。
究極の刹那主義
これは時間という時を表す単位を知らず、時間という概念がない未発達ゆえなのですがね。
我々、大人はどうなんでしょう?
では、しっかり時間の概念がある大人はどうなんでしょうか?
多くの宗教的な教えや自己啓発の名言にありますが
今を一生懸命やろう
という言葉があります。
不安や後悔は、未来や過去のことを考えたり、それと今を比べたりして発生しています。
それに対する言葉として教えてくれるのが「今を一生懸命」の名言です。
過去は過ぎ去って、もう無い
未来はまだきてないから、まだ無い
今は存在しているから有る。という事を考えれば確かに本質だと思います
つまり、これに関しては
時計が読めない子供の方が、大人より本質に近いのかもしれません。
未熟であるが故に本質に最も近い。それは面白いな。。。
そう考えれば我々大人がよく言いそうな
「いまさら」「手遅れ」「年齢が」「できないかも」「どうなるかわからん」
という考え自体が『時の概念』に縛られているのかもしれませんねぇ。
と、そんな考えを巡らせながら
コーヒーを啜った、ある日の昼食でした