強いか弱いか、勝ったか負けたか
結局は強くて勝たなきゃ意味がない
戦争は反対だっていうのは、まずほとんどの人が思っていることだ。私もそう思う。そして、戦争は基本するもんじゃねえ。莫大なお金がかかるし、当然、莫大な人間が死ぬ。得るものはほぼ無く、失うものがはるかに多い。それでも、勝った場合と負けた場合は、さらにその中でも天と地ほどの差が出る。それぐらい違うことだ。
結局は暴力が物事を支配している。法の支配や倫理観、そんなものはない。結局、世界最強のアメリカ軍が「防衛だ」と言って戦争を仕掛ければ、誰も文句を言うことができない。日本だって文句を言えないし、「そんなものは情けない」と言う政治家がいても、実際には絶対にありえない。当の本人だって言うことはできないのだ。結局のところ、アメリカに対して仮に日本が文句を言ったとして、アメリカから「じゃあ、お前らを全兵力を使って滅ぼすぞ」そのように言われれば、それは単純に脅しだし、そのまま実行すれば、日本は滅びるしかない。数、先発の核ミサイルがあり、日本と言う国を世界地図から消すこともできる。親も友達も恋人も、夫も妻も、子供も孫も数千度の熱によって吹き飛ばされて消える。それが現実になる。それだけです。
一番強い者には、誰も制裁を加えることができない。
アメリに文句を言えないのは、第二次世界大戦で日本がアメリカに負けたからです。主権国家なんて言いますが、そんなものはアメリカ様から主権国家であることを認めていただいて、主権国家と言う手を作ってもらったに過ぎない。情けないと思いますが、それが負けた者たちの運命です。どんなにしゃべったところで、何を言ったところで負けたものは負けたものでしかありません。残念だ。とてつもないラッキーなことに第二次世界大戦の後日本は高度経済成長、そして朝鮮戦争特殊によってお金をたくさん儲けることができました。これはラッキーです。それによって戦争に負けたことやろ。コンプレックスを埋めていました。
実際問題
暴力が世界を支配する。正確には、実力行使の手段を所持している者が定義する正義、そしてその者が敷く秩序が法として機能するという意味です。ルールには必ず実力が伴います。日本の警察だってそうです。日本の警察は話し合いで犯人を捕まえたりはしません。犯人を捕まえるときは力で取り押さえます。それは実力行使であり、暴力です。警察官が殺人犯に対して「出頭してくださいね」と相談するわけではありません。逮捕状を取って、実力で取り押さえるのです。「逮捕状を取っているのだから法の支配だろう」と思うかもしれませんが、正確には、その実力行使の力を背景に持っている人が法を運用しているわけです。結局のところ、法律というものは実力行使の力によって裏付けされています。もちろん暴力だけが全てではありませんが、暴力がなければ法の支配すら成立しないのです。コインの裏と表のように、この2つは別個のものではありません。同時に存在することによって初めて機能します。これは国家レベルの話だけではなく、個人レベルの話でも規模が違うだけで本質的には同じです。1. 国家や都道府県2. 民間組織3. 一つの家庭や家族4. 個々人の人間関係これら全てに共通して言えることです。どちらも大切なのですね。「舐められてはいけない」という意味も含め、様々な文脈において、ある種の実力行使は必要なのだということです。あえて強い言葉を使って「暴力」と表現しましたが、それは実力行使を指しています。様々な意味での暴力というものは、社会を機能させる上で不可欠な要素なのです。

