ルシファー
Netflix
以前、Netflixで視聴していた米ドラマ
ルシファー
結構、続いていてシーズン6くらいまであります。
どんなお話でしょう
神との戦いに敗れ翼を失い堕天使となったルシファーは、地獄の王として地獄を統治していた。
しかし、ルシファーは何万年もの変化のない地獄を統治する仕事に飽きて辟易していた
なので、地獄を抜け出し人間の姿となって現世のロサンゼルスに現れ、クラブを経営しながら享楽にふけって遊んでいた。
そこへ、殺人事件の捜査をするために女性の刑事が現れる。
女刑事は、重要人物としてルシファーをマークして聞き込み調査を開始
ルシファーの身辺を調査し始めるが、人間と思って捜査をしていても
堕天使であるルシファーの調査はうまく進まない
正体不明のルシファーに女刑事は食らいつくが、それを疎ましく思うルシファーは自分の享楽生活の邪魔にならないように、事件をさっさと解決させて女刑事からの干渉を終わらせたいと考えて。殺人事件の解決に協力することになる
『刑事さん』『ルシファー』そう呼び合って、事件の解決に挑む
行動力と執念、鋭い知性と勘を兼ね備えた敏腕刑事
少しズレているが、超然とした感性と発想そして何より
『心の中の欲望を正直に言葉にしてしまう』という能力を持った堕天使
刑事 & 堕天使のコンビが出来上がる。
最初は反発しあっていた2人も数多の事件を解決に導き、絆を作っていく
というドラマです。
ルシファーは軽い性格でいい加減ではあるが、人情には意外と厚い
しかし、刑事さんや周りの人々、兄弟の天使たち、父たる神
これらに触れて自分の心と向き合って行くことになる
地獄の王
このルシファーは当然、キリスト教の世界観で作られているのだが
やはり日本の価値観とは違うなと思うところがある
地獄の王たるルシファーは、どうやって人が地獄に落ちるか話している
『人がどうやって地獄に落ちるか知っているか?』
『人間はな。自分で地獄に落ちるんだ。僕が地獄に落とすわけじゃない』
『そして地獄の扉には鍵はかかっていない。』
『いつでも地獄からは出られるんだ。』
『しかし地獄から出た者は一人もいない』
『人間は自分の罪悪感で自分の地獄に落ちるんだ』
とても日本では無いような価値観だなと思った
『菊と刀』を思い出した
菊と刀
第二次世界大戦の戦時中、アメリカは『日本には勝てる』という予測をだいぶ早い段階から
予測していたらしい。戦争に勝った後、どのように日本を管理するのが良いのかを研究することにする。
そこで、日本文化と日本人の固有な行動規範を研究するために
戦時情報局は文化人類学者ルーズ・ベネディクトに調査を命じる
ベネディクトの調査した報告書を基にして出版されたのが
『菊と刀』
ここで言われたものをデフォルメして書くと
日本人は【恥】の文化
他人から自分がどう見られているのか、非常に気にする
世間体・面子・評判が極めて重要
悪いことをしたとき『人に知られること・恥をかくこと』を恐れる傾向が強い
西洋人は【罪】の文化
神や良心に照らして正しいか?であり、皆がどうかよりも
それは正しいのか?ということを優先しやすい
という。
日本的な考えならば、閻魔さまに裁判されて地獄に落とされる
行きたくない地獄に落とされる
しかし、このドラマのような西洋人な価値観では
地獄には落とされるのではなく、自分で落ちる
当たり前の価値観
こういう当たり前と思って疑わなかった価値観も
違う文化では捉え方も違う。
こういうことを価値観の拡がりというのだろう

